阿部和重 取材・構成 門倉紫麻 阿部和重の漫画喫茶へようこそ!

マンガ好きの小説家・阿部和重さんが、
喫茶室でコーヒーを片手にマンガについてしゃべりまくる
【阿部和重の漫画喫茶へようこそ!】

毎月100冊近く出版される「1巻」の中から、
モーニング編集部がチョイスした7冊を読んでいただき、
小説家ならではの、また映画に造詣が深い阿部さんならではの視点で
「マンガの現状」に迫ります!

(取材・構成=門倉紫麻)

『阿部和重の漫画喫茶へようこそ!』は電子書籍化にともない公開を終了しました。

【電子書籍化記念・阿部和重インタビュー】 201冊を振り返る(2017/11/22)


——連載終了から約1年経ちました。あらためて2014年6月から2016年6月、2年間の『漫画喫茶へようこそ!』を振り返っていただきます。

阿部 僕が人生で一番マンガを読んでいた時期といえると思います。2年間集中してインプットできたことが今の自分に役に立っていると思うのですが、この連載の後は小説の仕事をいくつか同時に進めていることもあって、マンガを読まなくなってしまったんですよ。なので今のマンガの状況は違ってきているのかな? という気持ちもある中でお話しさせていただくのですが……。でも今回まとめたものは、あの時期の、日本のマンガにおけるバラエティの豊かさみたいなものの記録になっているとは思います。

——連載の中で阿部さんが特に強く推していらした作品を20冊ほど用意したので、それを眺めながらお話しできればと。できれば、ベスト5のようなものも決められたらいいなと思っています。

阿部 (マンガを眺めながら)あの時は1巻が出たところでしたが、もう連載が終わってしまっているものもあるのでしょうね。

——このうち半分ぐらいは終わってしまいましたが、『からかい上手の高木さん』のように大ヒットしたものもありますね。




阿部 あっ……僕、最後に言おうと思っていたんですが……唯一自分で買い続けているマンガが『高木さん』です。

一同 (笑)。

阿部 今タイトルが出たので、黙っていられない(笑)。「僕はこの業界でやっていけるのだろうか」と心が弱った時などに読んで、励まされております。多分僕のような人間が、日本に5000万人ぐらいいると思います(笑)!

——連載では「永遠ってあるんだなあって思いましたよ……。」とおっしゃっていました。

阿部 はい。この世界をストーカーのようにずっと眺めていれば気持ちが落ち着くというか、こういう世界があるのだから地球も捨てたものじゃないな! という気持ちになります。アニメ化も決まったそうですね。これからもお金を出して買いたいと思います(笑)。

——ぜひお願いします(笑)。

阿部 しかしこうして振り返ってみると、編集部に選んでいただいたものを読む、というこの連載ならではの良さがありますね。普通に自分でマンガを読んでいたら出会わなかっただろう作品がいっぱいある。それくらい幅ひろいジャンルに触れることができた。『口入屋兇次』はどうだろう、もしかしたらどこかで出会っていたかもしれないという気もしますが、連載前半の方でこれを読めたのはほんとによかったです。モチベーションがあがりましたし、非常に刺激や感銘を受けました。




——「ゲームのパラメータみたいなものがあったら、『絵』『内容』『キャラクター』みたいな項目が全部満点でもいいくらい」とおっしゃっていました。

阿部 作者の崗田屋愉一さん(※2016年に「岡田屋鉄蔵」より改名)とは対談もさせていただけて嬉しかったですね。ギャグマンガもたくさん面白いものがありました。体の中で赤血球や白血球が細胞たちと戦うマンガもありましたよね。

——『はたらく細胞』ですね。5巻発売時にはスペシャルアニメ映像が作られたりして、今も連載中です。




阿部 すごいなぁ。あれも相当な作り込みなので、連載を続けるのは大変だろうなと思います。確か、当時新人さんでしたよね。

——初連載でした。

阿部 一つの窓を介して未来の自分がやりとりする……『Man In The Window』、あれなんかも面白かったですよね。ああいった変なアイデアをマンガはいっぱいやっているのがいいですよね。




阿部 あ、あれはどうなりましたか? 格闘マンガの『ゴロセウム』。

——連載中で5巻まで出ています。




阿部 ミリタリーSFみたいな設定もすごくいいですよね。しかも格闘の知識もすごくあるから、それを生かした展開になっていて。プーチンにそっくりの格闘家が出てきたり、モデルがはっきりしているのが面白い(笑)。格闘ファンの人はやってくれた! と思って買い続けてしまうと思います。モデルがはっきり、というところだとカツオの漁師マンガ(『鰹みだれうち』)も、ちょっとよかったですよね。魔裟斗さんのような格闘家がモデルになっていた(笑)。






規則も知っていながら、それにとらわれないという柔軟性

阿部 少女マンガも、ジャンルが飽和化していく中で考え抜かれたものもいろいろありましたね。ステレオタイプなものを使わざるを得ない状況を受け止めたうえで、表現にしてもストーリーの展開にしても、作者の技によって違った見せ方をしていく……そういう技を見るのも、マンガの楽しみの一つなのだなということにも触れられました。少女マンガは特に恋愛というシチュエーションに特化しているところがあるので、どうしたって、ネタが重なるし、同じシチュエーションが多くなる。それを描き分ける技があるのがすごいなと思いました。

——その「ジャンルの飽和化」については「どう脱するか」という方向まで示していただいたのが嬉しかったです。

阿部 最初からマンガというものの構造や特性みたいなものを自覚している漫画家の方も当然いるとは思うんですが、普通はよくわからないまま描き始めると思うんですよ。そして描いているうちにだんだんわかってくる。「マンガとはこういうものだから、こういうことができて、こういうことができないんだな」と。そうするとパターンみたいなものに対する意識も強くなっていって、じゃあそれを使ってどう自分なりの表現を組み立てていくか、ということが考えられるようになっていく。その意識が強ければ強いほど使える武器の幅も広がるし、新しいものを生み出せるようになる。

——「パターン」を自ら「武器」として使えばただのマンネリにはならないんですね。

阿部 結局のところ、マンガに限らず物語を扱う創作というのは、決まり事があるようで実はないんですよね。物語というのは必然性をもって組み立てていかなければいけないので、リアリティとかキャラの配置とかいろんなことに気配りをするんだけれど、実は「絶対そうしなければいけない」というわけではない。全然違う作り方で、同質の面白さを出すこともできる。「規則も知っていながら、しかしそれにとらわれない」という柔軟性が、結局一番大事なのかなというふうに思いますね。それは小説にも言えるし、どの創作物にも言えることじゃないかと思います。

——規則やパターンを知っておくためには、たくさんの創作物に触れておくとよいのでしょうか。

阿部 もちろんある程度の数に触れておくということは大事だと思います。でも、その結果としてよくあるのが、特質がクリアに見えすぎてしまって「映画とはこうだ」「マンガとはこうだ」と原理主義的なところに陥ってしまうこと。それはそれで明確な規則性みたいなものが打ち出せるし、同じことだけをやり続けてすごい作品を生み出せるタイプの作家もいるので。ただそこでワンパターン、あるいはセルフパロディーみたいなものをやり続けることになって、飽きられてしまう場合もあるので……「自分は同じことをやり続けているな」という自覚性を持って、同じことの中から更新を見せるということが出来ないといけないですよね。

——たくさんのものに触れることで逆にワンパターンに陥ってしまうこともあるのですね。

阿部 対象との距離の取り方で意識も変わってくるのかなと。近づきすぎないちょうどいい距離感でつき合っていくといいとは思うんですが、距離が余りに遠いと、今度はそのジャンルの本質を理解しないまま「ただ、見た」という事実だけが頭に残っていくことにもなりかねない。それなりの距離まで近づいてみて、「これはこういうものなんだな」とそれぞれの違いみたいなものを理解しておいて、客観的に「じゃあ今回はこれとこれを組み合わせてみよう」というふうに思えるといいのかなと。

『波よ聞いてくれ』の沙村広明さんは、この1冊を読んだだけで、パターンの引き出しが多い方だとわかる。きっとこれまで、今言ったみたいにいろんなものに触れて客観的にパターンを理解されてきたのだと思います。連載中に、とにかくカメラワークがすごいという話をしたと思いますが、キャラをいろんな所から捉えて構図を決めていますよね。自然とそれが出来ている。




——「その場面に起きている出来事とキャラの言動から、どこにカメラを入れて、どの角度から、どういう大きさで描くべきか——ってことが必然の範囲で組み立てられているのがひしひしと伝わってくる」とおっしゃっていました。

阿部 一番簡単でわかりやすいコマ割りって、キャラクターたちの顔をアップだけでつないで、会話をさせていくものだと思うんです。セリフが面白ければ、別にそれで問題ない。でも、それではダメだよね? と作者が思うところに、それぞれの違い、技術的な個性みたいなものが見えてくる。『波よ聞いてくれ』では、お店の中で、キャラクターたちがラジオに関してやりとりする場面があったと思うのですが。

——主人公が勤めているスープカレー店に、ラジオ局の面々が集まって話をします。

阿部 テーブルを囲んで何人かで話をしているんですが、沙村さんはカメラの角度もレンズも変えて、寄ったり引いたり上からも下からも、すごくバラエティをつけて撮っていきます。「構図を変えたい」という意思が働いているんですよね。そして、そうすることでさらに物語上の何かがクリアになるんです。

——構図に凝ることは、ただ面白いとかすごいだけではなくて、そのことでクリアになるものもあるんですね。

阿部 おそらく沙村さんは形式性への理解や知識が深いと思いますし、そのことにすごく自覚的なのだと思います。このようなことを続けるには、ものすごく苦労もあると思いますが、その作品に適した表現というものを思いついて、実践できちゃう人なのではないかと。だからほかの作品ではまた違う表現をしているはずだと、この1冊を読んだだけでわかります。別のジャンルに属する、けれども同じ創作に携わる人間として感銘を受けました。

阿部さん担当編集 小説家としての阿部さんと、タイプは同じ気がしますね。

阿部 だから余計に僕はそこに敏感に反応したのかもしれません。先ほども言いましたが、同じパターンばかりを使った、すぐれたマンガというのももちろんあるんですよ。4コマで全部同じ顔でセリフだけが違う、というようなミニマムな表現で物語性を出すテクニックもあるわけですから。

この連載の中では、なるべく一律の価値みたいなものを打ち出さないようにしたいと、僕なりに思っていました。それぞれの作品が「何をやろうとしているか」ということをまず受け止めた上で、それがうまく出来ていたとか、それにはこれが足りなかったんじゃないか、あるいは過剰だったんじゃないかとか、そういうことを僕なりに感じてお話ししてきたつもりです。

——はい。常にそういう言い方をされていたのが印象的です。フラットな視点でお話していただきました。

阿部 それって、小説の新人賞の作品を読むときの心構えなんですよ。僕が経験してきた中では、好き嫌いで評価する人も結構いるんですが(笑)、選ぶ人の好き嫌いは、作品の評価に関係ないですよね。「やろうとしていることがどれくらいできているか」ということが大切なのではないか、という考えが僕の基本にある。マンガに関しては門外漢なので、余計にその姿勢で、それぞれの作品を読ませていただきました。



1話だけで判断せず、「救済措置」を!

阿部 話しているうちに具体的に作品を思い出してきますね……池上遼一さんと山本英夫さんの『アダムとイブ』、あれも面白かったですねえ。一巻まるごとワンシチュエーション、同じ場所で展開されていたと思うんですが、その中で物語がどんどん変遷していく。ミニマムな形式での面白さを追求していました。

——2巻で完結しましたね。




阿部 1巻でだいぶ飛ばしていましたもんね……。今の話とはまた別の文脈で、職人というかプロの仕事として、これはすごいなあと思ったのが『魔法のリノベ』ですね。




——「こういった、上質な普通のものがあるからこそ、突飛なものが輝ける場がある」とおっしゃっていました。

阿部 この連載で、こういう作品と出会えたことが本当に良かったなあと思います。アニメ化が決まったとかドラマ化が決まったとか、そういうことで爆発的な人気になるのももちろんマンガの良さだと思いますが、それら全ての表現を支えているのは、基本的な全ての手続きをきっちりと踏み、かつそれを突き抜けてしまうほどの完成度を持っている、『魔法のリノベ』のような作品ではないかなと思います。もう一つ、同じようにベテランの方が描いた作品でいいものがありましたよね。

——『うちのママは巡査部長 生活安全課・黒川千明の事件手帖』ですね。連載誌は同じく「JOUR すてきな主婦たち」(双葉社)です。




阿部 この雑誌がすごいんですね。「JOUR すてきな主婦たち」に阿部賞を差し上げたいです! 手堅い、圧倒的な完成度を誇る作品がいくつも掲載されていて、一つの独立した、充実した世界みたいなものが成り立っているのではないかと。『うちのママは巡査部長』もまさにそういう作品で、これこそ普通に趣味でマンガを読んでいるだけでは出会えなかったかもしれない。『グランドステーション ~上野駅鉄道公安室日常~』も素晴らしかったですね。




——こちらは2巻で完結しました。

阿部 こんなにも隅々まで描き込みながら物語を組み立てていくというのはものすごい労力なので、これも「終わっちゃった」というよりは「よくやった!」というお仕事だと思いますね。作者の頭の中に「マインクラフト」ができるくらいの充実したデータが入っていたと思うんですよ。それが1巻の内容からだけでもうかがえます。

マンガは、長く続けば続くほど価値が上がるという種類の作品もあると思いますが、そうではなくて、太く短くというものもまた素晴らしいということが、多くの読者に共有されている。『変身!』も完結したようですが、そういうタイプの作品でしたね。面白かったです。なかなかの作り込みで、作者がいかに描ききるかということに尽きるような作品でした。




阿部 『いぬやしき』はアニメ化も実写化も決まりましたが、連載は終わりましたね。まとめて読もうと、まだ最後まで読んでいないのですが。

——全10巻でした。




阿部 『GANTZ』に比べると短く感じますが、最初から「クライマックスだぜ!」的な感じで飛ばしていたので、やはり太く短くを狙って、作り込むことを目指した印象はありますね。

連載マンガというものは、ほとんどが終わりを想定せずに、どれだけ長く続けるかということを基本原則としていますよね。それはやはりちょっと異様だなあと。第1話に要素を入れすぎてしまうという、「第1話詰め込み問題」についても何度もお話ししましたが、まず第1話である程度支持を集めるという関門をくぐり抜けて、いよいよ物語を展開させていく、みたいなことになっていて。でもそれだと中ぶらりんすぎて、作者はどこに物語の軸を置いていいかがわからなくなる。そうすると、どうしたってキャラに行くしかないんですよね。とにかくキャラに対する注目を集めて、支持させる。それプラス、物語がどうなっていくんだろうということになるのですが、それはキャラがどうなっていくかということと不可分というか。

——キャラがどう生きていくか=ストーリーになる。

阿部 そういうものが長く続いていくものなんだろうし、ほとんどのものがそういう考えで作られているのだろうと思います。でも実は、それぞれの物語ごとにポテンシャルは違っていて、設定によっては3巻分くらい進んだところですごく面白くなっていくものも絶対あるんですよ。だから「救済策」みたいなものがあればいいのになと思う。連載中にも言ったと思いますが、読者は1話で判断するのではなくて、せめて1巻を全部読みきってから判断したほうがいいと思いますし、編集部も、1話のアンケートだけで判断するのではなくて1巻が出たところでアンケートをとって、その結果も連載に反映してほしいなと思います。



この連載を通して、コミュニケーションがとれました

——これはすぐ映像化できる、というお話もたまに出ていましたね。「テレビの人が見たらすぐドラマ化しようとすると思う」とおっしゃっていた、東村アキコさんの『東京タラレバ娘』はあの後ドラマ化されて大ヒットしました。




阿部 そうでしたね。東村さんはもともと人気のある方なのですぐにドラマ化されましたが、ほかにもたくさんありますよね。崗田屋さんの『口入屋兇次』もそう。テレビじゃなくてもAmazonプライム・ビデオとか、ネット配信のドラマにすごく向いていると思います。僕がプロデューサーだったらすぐに行きます!

この連載が1冊にまとまって、どれだけここで紹介したものが映像化されるか……というのが我々の使命みたいになってきましたね(笑)。映像関係の人が「ネタがない」とよく言っていますが、ここにあるじゃん! 宝庫だよ! と言いたい。すぐにシナリオ化出来ちゃうよ? と。視聴者層みたいなものも想定できてて、スポンサーにも話を通しやすい……そういう視点から企画を立てられるものもあれば、とにかく物語として面白いから予算内でできそうだと計算できるものもある。それができなきゃプロデューサーとはいえない! と……そんなことまで言わなくてもいいんですが(笑)。アニメ化してもいいなと思ったものもありました。

——例えばどれでしょう。

阿部 『懲役339年』なんかは、アニメ化して海外の映画祭に持って行けば高く評価されるんじゃないかと思います。絵のタッチも個性的で、どうアニメに生かすかというところで見せ方の面白さもありますし。




——2巻を読まれた時、作中に出てくる「手記」になぞらえて「何かの真実を暴いてしまうもの、システムを変えてしまうもの、人々が何かを変えるきっかけにできるもの……そのように機能するものが、マンガ、文学、芸術、『クリエイティブ』というものなのではないかと」この作品を読んで気づいた、というお話をされていました。

阿部 そんないい話をしていたんですね(笑)。忘れていました。とにかく今からでもアニメ化してほしいですね。何が足りないんでしょう……萌え要素ですかね? 「囚人のフレンズ」を加えればいいのでは……。

——(笑)。実際、囚人の萌えキャラが出てくるマンガもありましたね。『KILLER☆KILLER GIRLS!』。




阿部 ありましたねえ。「日常系」を手を替え品を替え描いていくということを、よく話しましたよね。病気の友達を笑わせる話、『NKJK』もその一つでしたね。あれもなかなか考え抜かれたマンガだなあと思いました。




阿部 作者の吉沢緑時さんが、この連載で取り上げたことに対して、ツイッターで直接僕に「ありがとうございます」と言ってくださって……本当に嬉しかったです。作者と直接コミュニケーションをとることが可能な時代になったということでもありますよね。それが2014年ごろのマンガを読むという状況を巡る、新しいことだったのかなあという気にもさせられました。

——担当編集者さん経由で、作者の方から反応をいただいたこともありましたね。

阿部 そうですよね。読者の方から「いやこれは違う」という声もいただきましたし、僕が事実誤認していたことを指摘していただいて気づいたこともありました。そういうこと全部含めて、いろいろなコミュニケーションがとれたのも、この連載の収穫の一つでした。ふだん、ほとんどコミュニケーションをとっていないのでよけいに嬉しかったです(笑)。



マンガは「紙の本を買うと電子書籍がついてくる」くらいのことが必要になる

——デジタル化に関する状況が、連載中にどんどん変わっていきましたね。「電子書籍はマンガにすごく合っています。iPadとかのタブレットで読むと、ストレートに作者の絵の意図というのが感じ取れるんじゃないかなと思う。(中略)だって漫画家さんは、平面で絵を描いているわけじゃないですか」とおっしゃっていて。マンガの電子化に関する見解で、たぶん今まで誰も言っていなかった新しいものをお聞きできました!

阿部 そのくだりに関しては覚えています(笑)。一番漫画家が描いている時の視点に近い形で読めるのが電子だ、というような話をしたと思うんですけれど、それは今も思っているところがあって。もちろん、漫画家に近い視点で読むことだけが正しい読み方でもないし、マンガは紙をめくって読むという形式性と不可分だとも思います。

——確かに、漫画家は基本的には「紙でめくったときにどう見えるか」という意識で描いているとは思うので、その意図みたいなものを汲むなら紙で読む、ということになるのかもしれませんね。

阿部 それも間違いなく残さなきゃいけない文化だとは思います。だからいっそのこと、マンガは紙の本を買ったら電子もついてくる、くらいのことがこれからは必要なんじゃないかなと。

——それはすごくいいですね! 作者の意図したものと、作者の視点から見たものと、両方を体感できます。

阿部 一読者としての、夢のような話ですが(笑)。

担当編集 今、電子のマンガはさらに増えました。マンガアプリが増えているので。

阿部 やはりそうですか。これからマンガを描こうと思っている人たちは、電子で読まれるということも前提に、より分析的に作品を読んでいくことになると思います。

——「発表の場が新しくなることによって、表現形式に新しさが生まれる」(『黒街』)というお話をされていたのも印象的でした。その時は、ウェブ媒体で連載されているマンガの表現形式はミニマムである、というお話でした。




阿部 そうでしたね。やっぱり、媒体に応じた最適化みたいなものが、いろいろなところで起きている。マンガは視覚的な要素が強いので、わかりやすくそれが表れますよね。パソコン上で縦スクロールで読むことに特化した作品が出てきたり、さらにスマホで読むことが一般化したことで、「4コマ」という形式が見直されてきたりして。最初のほうで取り上げた4コママンガの『徒然チルドレン』も、確かウェブ媒体での連載でしたよね。




——はい。もともと作者自身が運営するウェブサイトで連載されていたものが、雑誌でも連載されるようになりました。

阿部 あれも印象的なマンガでしたね。

——「読んでいてひたすら幸せだったんですよ。とにかく僕はもうこれだけをずっと一生読み続けたいと思いました」とおっしゃっていました(笑)。



小説は、始まってもいなければ、終わってもいない

阿部 今お話ししたようなイノベーションって、小説の世界にはなかなか起こりえないことですよね。これは昔から広く指摘されていることでもありますが……小説というのは、もう創作のポテンシャルが出尽くしちゃっている創作ジャンルなんじゃないかと。

——そうなのですか?

阿部 出尽くしちゃっているというより、蓮實重彦さんの議論を踏まえれば、始まってもいなければ終わってもいない、とも言える。ずっと同じ所にいる。ここからは持論になるのですが、ほとんどの創作ジャンルが技術革新によって、表現の幅を広げてきたと思うんです。例えば映画だったら、もともと白黒のサイレントだったものに、まず音がついた。さらにそれがカラーになり、今度は画角が広くなり、その流れに並行して特殊視覚効果が年々進化していったりという技術的変遷があって、90年代にはついにデジタル化されてさらに大がかりな技術革新を迎えた。そうやって表現の幅が広がった。

マンガだと、これは素人考えですが、例えばスクリーントーンを貼る工程がデジタル化されたことで、短い時間でたくさん貼れるようになりましたよね。そうすると、その部分の時間は短縮されて、別のところでさらに情報の密度が高い作品を作りやすい環境になったのではないかなと。デジタル化以前にもできたことかもしれないですが、「やりにくかったこと」が「やりやすくなった」ということはあったと思います。

——その通りだと思います。デジタル化されてただラクになった、というわけではないんですよね。トーンなど仕上げに時間がかからなくなった代わりに、漫画家さんたちはほかの部分を何度も直したり、描き込んだり、あるいは3Dで作品世界そのものを作成することに時間を使うようになったとよく聞きます。

阿部 音楽も電子楽器の出現やデジタル技術の導入によってその都度変わってきたと言えるし、いろんなジャンルで技術革新が明らかに表現の幅を広げていっている。でも小説は原則として言葉のみでできていて、表現の素材が活字だけなので、創作面では技術革新の影響を受けにくいし、基本的には変わりようがないんですよ。

例えば造語や新語をちりばめたり、多言語をミックスさせて奇妙な文章を組み立てたり、といった構文上の変形的な表現は20世紀までにさんざん試みられてきた。そこからさらに、ウィリアム・バロウズが他人の書いた文章を切ったり貼ったりして新しい表現の形を見せたこともあったけれど、創作のスタイルや作品の見え方がいっぺんに変わってしまうような技術革新を小説というジャンルは経験しようがなかった。その意味で、小説の表現というのは進化に疎く、歴史性も見えにくいものになっていっていると僕は思っているんですね。

——なるほど……。

阿部 ただ……執筆環境でいうと、90年代からパソコンが普及して、2000年ごろにはネットが本格的に使いやすくなって、ネットで検索しながら小説を書ける状況にはなった。作者個人の扱える情報の量と種類が爆発的に増えたわけです。それがもしかしたら唯一の小説にも訪れた技術革新で、表現の幅が広がる一つのきっかけだったんじゃないかなとは思っていますし、自分自身の仕事は明らかにその影響下にあると自覚しています。何が変わったかというのは、まだ個々の作家がそれぞれに捉えているところなのかもしれません。何も感じ取らずに、それまで通りにずっと書いている人もいると思いますが……。



同じ言葉を使っていないか、自分の原稿の前後10枚くらいを検索した

——読み手の立場からすると、電子書籍で小説を読むことができるようになったことは大きな変化でした。作者がその作品の中で使っている言葉を、簡単に検索できてしまうんですよね。そうすると「この作家はこの言葉を何回も使うんだな」と一瞬でわかってしまったりもするので、作家さんからするとそれはどうなのだろうと……。

阿部 それが情報化社会というものの大きな特殊性ですよね。小説に限ったことではなくて、検証可能性が一般化した。この連載でもずっと扱ってきた「パスティーシュ問題」というのがありましたよね。古典のある場面について「どうだったかな?」と思ったら、検索すればすぐに参照できる。そのまま使えば「パクリ」だと言われたりもするし、実際そういう指摘もすごく増えたじゃないですか。

でもそれが情報化社会のはっきりとした現実だと思うんですね。その中で我々はどういう表現をしていくのか、ということを考えていかざるをえない。理論武装するか、「語彙が偏っている」みたいに、検証が一般化したことでされるようになった批評も、自分の表現の中に取り込んじゃう、みたいなことをやっていくしかないのかなあと。

——もうそういう社会に「なってしまった」わけですもんね……。

阿部 『ピストルズ』(2010年)を書いた時だったと思うんですけど、「この小説は文脈に合わせて花言葉とか、裏の意味がたくさんちりばめてあるので、線を引いたらパッとそれが出てくるようなアプリが作れるといいよね!」と、出版社の人に言ったことがあるんですよ。お前はそんな立場じゃないだろう! と見事にはじけ飛んで、夢の企画として終わりましたが(笑)、可能性としてはそういうこともあったなあと思います。




阿部さん担当編集 『ピストルズ』を書いていた時、阿部さんは先ほど話に出たみたいに、自分の表現を検索していたんですよ。

——自分で書いたテキストを検索する、ということですか。

阿部さん担当編集 そうです。例えば「いわゆる」という言葉がこのページの中にいくつくらい含まれている、みたいなことですね。

阿部 『ピストルズ』では、表現の重なりを避けたり、ダブル・ミーニングを多用したり、引用を組み合わせたりと、いろいろ課題が多かったので、一行ごとに、ほとんど偏執狂的にやっていましたね(笑)。前後10枚くらいで同じ言葉を使っていないか、と検索してみて、同じ言葉を使っていると変えなきゃならなくなる。変えると言葉の座りが悪かったりするんですが、同じ言葉は使いたくないから、我慢して使う、ということをやっていて。

自分の書いたテキスト内だけじゃなくて、一つの言葉をまず2社の辞書ソフトで検索して、さらにワンセンテンスをそのままグーグルで検索して、ほかの人たちがどういうふうに使っているかというのも見ながら組み立てていく、というようなこともしていましたね……。

——それはすごいです……!

阿部 自分でも、本当にアホじゃないかと(笑)。二度と同じことは出来ないですね。

阿部さん担当編集 校閲から入ってくる指摘に対して、どっちでもいいという作家さんも多いんですよ。でも阿部さんにはそれはほとんどない。「、」を入れるか入れないか、ひらがなか漢字か……すごく厳密です。テクノロジーとは別の問題ですよね。

——技術革新によって「やりやすくなった」だけで、「やりたいこと」はもともとあったということですね。

阿部 そうですね。ちょっと前に亡くなられた大西巨人さんの原稿が、元の原稿がわからなくなるくらい、本当に切り貼りしてあったという記事を読んだんですよ。それを知った時に「俺のやっていることは間違いじゃなかった!」と思いました(笑)。



『レベレーション(啓示)』には震えました!

——ここで「阿部さんの5選」のようなものを挙げていただいてよろしいでしょうか。

阿部 そうですね。やはり今話してきたようないろいろなお話を超えて……僕は山岸凉子さんの『レベレーション(啓示)』がすごかったと思います。読んで一番震えたのはこれですね。これはちょっと……すごい。ただひたすら、すごい。




——ほかの山岸作品と比べてもすごいですか。

阿部 『舞姫 テレプシコーラ』も『日出処の天子』も、もちろんすごいと思いますよ。『アラベスク』のころから、先へ先へとイノベーションをひたすら追求している感じがある。山岸さんは常に、ある種の崇高性や超越性をめぐるドラマを描いてこられたと思うのですが、『レベレーション(啓示)』ではその表現がさらに一段高まったという気がしました。

——これだけキャリアを積まれても野心があるというのはすごいことですね。

阿部 そうですよね。あと4つ選ぶとすると……『口入屋兇次』『波よ聞いてくれ』『魔法のリノベ』……。

——あとは買い続けている『からかい上手の高木さん』でしょうか。

阿部 あれは……集合写真だったら欠席の生徒の位置に貼られているような場所にあるというか……僕の「行きつけの店」みたいな感じなので、別枠で(笑)。あと一つは『懲役339年』にします!

——はい! 以上、5冊です。

阿部 日本のマンガは、僕がこの2年間こんなにたくさん読んでもまだまだ一部だし、その一部の中でもこれだけ充実している。どの作品もいろんな面白いこと、変なことをやっていると思いました。みなさん本当に素晴らしい仕事をなさっている。それぞれの作家の方たちに対して、あらためてリスペクトを強く持ちました。このインタビューでは触れられなかったタイトルもいっぱいありますが、それはぜひ本文の方でご確認いただく、ということで!

(2017年7月収録)
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プロフィール

阿部和重
阿部和重(あべ・かずしげ)
1968年、山形県東根市出身。小説家。
1994年「アメリカの夜」で第37回群像新人文学賞を受賞しデビュー。その後、『無情の世界』で第21回野間文芸新人賞、『シンセミア』で第15回伊藤整文学賞・第58回毎日出版文化賞をダブル受賞、『グランド・フィナーレ』で第132回芥川賞、『ピストルズ』で第46回谷崎潤一郎賞を受賞。
近作に『クエーサーと13番目の柱』、『□』(しかく)、『Deluxe Edition』がある。
門倉紫麻(かどくら・しま)
1970年、神奈川県出身。漫画ライター。
Amazon.co.jpエディターを経て、フリーライターに。「FRaU」「ダ・ヴィンチ」「レタスクラブ」などで主に漫画に関する記事の企画・執筆、コラムの連載を行う。
著書に、「ジャンプ」作家に漫画の描き方を聞く『マンガ脳の鍛えかた』、宇宙飛行士らへのインタビュー集『We are 宇宙兄弟 宇宙飛行士の底力』『We are 宇宙兄弟 宇宙を舞台に活躍する人たち』がある。

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    発売日:2017/11/22

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