門倉紫麻 漫画家になるための戦略教室

熱意はある。努力もしている。「才能あるよ」とも言われた。
でも、なぜか漫画家になれない——。
そんな漫画家志望者のあなた。
熱意はあって当たり前。努力も言わずもがな。
才能は、確かにあったほうがいい。
でも、漫画家になるためには、それでは足りない
「戦略」が、必要なのです!
漫画ライター・門倉紫麻が、作家陣へのインタビュー、モーニング編集部への
潜入取材を敢行して探った、その戦略とは!?
どこよりも実践的な漫画教室、開校!!

【18限目】 第6回THE GATE審査員・山岸凉子さんインタビュー(前編)(2017/11/24)

全受賞作品を、「モーニング」「モーニング・ツー」「週刊Dモーニング」のいずれかに掲載する“超実戦型”の新人賞【THE GATE】

第6回から新たに審査員に就任した山岸凉子さん(「モーニング」にて『レベレーション(啓示)』を連載中)に、11月末の応募締め切りを前にインタビューしました!

どのような新人時代を過ごしたのか、読んでいて「引っかかる」作品とはどういうものなのか、そして「創作」において大事なこととは何なのか——。新人漫画家、漫画家志望者だけでなく、すべてのクリエイター必読の内容を、大ボリュームの前後編でお届けします!

山岸先生の仕事机。道具類と資料が、整然と並んでいる。「いつもは雑然としています」(山岸先生)



「引っかかる」作品とそうでない作品がある

——漫画賞の審査員は今回が初めてでいらっしゃいますよね。

山岸凉子(以下、山岸) ずっとお断りしてきました。自然体で漫画を読むと、おもしろい、おもしろくないがわかるのですが、構えて読むとわからなくなるみたいで。……なんて言っているのに引き受けられては、みなさん不安に思われますよね(笑)。「モーニング」さんにはご迷惑をかけ続けているので、少しは役に立たなければと思って、やらせていただくことにしました。

山岸さんのエージェントの横里氏 山岸さんは、選球眼がすごいんですよ。若手の作家さんを見ていて「この人は、くる」と思ったら、早めに教えてくださるんです。だいたいその人は、何年か後に本当にブレイクします。

山岸 いえいえ、ほかの漫画家さんもわかると思いますけれどね。いつも、送られてきた漫画雑誌はざっと読んで、その中で何か引っかかった漫画家さんのお名前は覚えるようにしています。

——今までそうやって名前を覚えたのはどんな方ですか?

山岸 よしながふみさんは、まさにそうでしたね。最初に読んだ時に、あまりにもすごい話だったので、この人は絶対にくるなと。今描いている『大奥』のような漫画とはまた違った……胸の大きな女の子が主人公のお話で(『愛すべき娘たち』第2話)。人間の心理を描き表していて、これは並ではない、と思いました。

——山岸先生が人の漫画を読んでいて「引っかかる」のは、どういう部分なのでしょうか。

山岸 なんと言うのでしょうね……もしすごく下手な絵だったとしても、引っかかるものと、そうではないものとがあるんですよ。それは、絵は下手だけれど、すごく言いたいことがある作者です。拙い絵でも、言いたいことがにじんでくる作品が心に引っかかります。

——ちなみに他に「モーニング」で引っかかった作品はありますか?

山岸 最近では、『バンデット』(河部真道)と『テセウスの船』(東元俊哉)です。もちろん、絵はメチャ上手ですが。
『レベレーション(啓示)』の、連載の下絵。



教室で話しながら「オチをつけなきゃいけない」と思った

——子供の頃は絵を描くのとお話を作るのはお好きでも、漫画は描いていらっしゃらなかったそうですね。

山岸 紙切れにお人形さんを描く、というだけでしたね。水野英子先生の作品とか、漫画を読むのは大好きでした。

——その絵を真似したりはされなかったのでしょうか。

山岸 大好きだけれど自分とは程遠い世界だと思って読んでいたので、真似しようとは思いませんでした。自分が漫画を描けるだとか、漫画家になれるだとかはみじんも頭になくて。漫画はどこかのえらい大人が描いているのだと思っていました。

——お話を作るというのは、どのようにされていたのですか。

山岸 だいたいお布団に入って、妹に、寝るまでぺちゃくちゃと思い浮かぶままに話していました。

——どういうお話ですか?

山岸 いやぁ……今言うのははばかられるような(笑)。当時(小学校入学前の頃)『少年ケニヤ』(山川惣治)という物語がありまして、それが非常に私の趣味に合っていて好きだったんですよ。それをさらに私好みの話に変えて、妹に話していました。

——BLのようなものでしょうか。

山岸 今思うとそうですね。当時は美少年という言葉も知らなかったのですが、あのように半裸の男の子が走り回っていることに、何かしらふつふつとわいてくるものがあったのだと思います(笑)。実際のストーリーはまじめに進んでいるのに、私のお話では「そこで彼はケガしちゃうのよ」なんて展開になっていたりする。そんなひどい話を妹は多分、理解できなかったと思います。でもそこが眠気を誘うので、私に話をせがんだのかもしれません。

——意識されていなかったとしても、すでに創作者ですね。

山岸 自分では創作だとも思っていませんでしたけれどね……。そういえばね、小学校1年生の時に教室で先生が「みんなの前でお話を発表したい人!」と言ったんですよ。それで、うーんと思って先生の目を見ていたら、「山岸!」と当てられて。はいはい、と前に出ていって、昔のヨーロッパの田舎の話をしたんですよ。継母にいじめられて泣いている女の子の話だったのですが、ラストが「彼女の涙が宝石に変わりました。今ある宝石はみな、彼女の涙なのです……」というものでした。

一同 おおおお!

——それを小学1年生で、即興で話されたということですか!?

山岸 そうです。とりとめもなくしゃべりながら、誰に教えられたわけでもないのに、今で言うところの「オチをつけなきゃいけない」と思ったんですよ(笑)。

——それは頭の中で絵が見えていたということでしょうか。

山岸 はい。女の子が野原を歩くと、その後に宝石が落ちていくのが見えていましたから。



「漫画家になれなければ死ぬ」というくらいに思っていた

——漫画家になろうと思ったのは17歳の時に里中満智子さんが16歳でデビューされたのを見て、だったそうですね。

山岸 突然、もしかして私も漫画を作れるかも、と思ったんです。同じ高校2年生が漫画を描いて、発表できる——という具体例を里中さんは私に見せてくれたんですね。びっくりして、急に漫画家への扉が開いた。それで慌てて漫画を描いたら、むちゃくちゃ下手でねえ(笑)。それまで漫画の描き方を意識したり、誰かの絵を真似たりするという発想が頭になかったので、自己流で描いたんですよね。線はガキガキガキとしてなめらかではないし、女の子はかわいくないし。焦りましたね。

——そこから練習をされていった。

山岸 下手なまま頑張ったんですが、女の子がひょろ長くしかならなくて。当時は丸い絵が主流だったのに、私が描く女の子は細面で、身長も高かった。私にはそれが美しく感じられるんですけど、漫画を描く人たちに会って話をした時に、どうやら私の絵はかわいくないらしいということに気づきました(笑)。

——最初から「自分だけが感じる美しさ」というものに気づいていらしたということでもありますよね。真似から入ってしまって、そのまま見つけられない人も多いかと思います。

山岸 あまりに下手で、真似る技術もなかったのです。でも最終的には、漫画は真似て勉強しないとダメなものだとわかったので、デビューしなきゃならない! と思った時には、巷に出回っている漫画の絵を必死に練習しました。

——高校時代には、大和和紀先生と知り合われたそうですが。

山岸 はい。高校2年の秋くらいに漫画家になりたいと思って描き始めて、大和さんに出会ったのが3学期の頃ですかね。彼女はだいぶ前から描いていたらしくて、いっぺんに影響されました。漫画の描き方はほとんど大和さんに教えてもらいました。学年は同じなのですが、違う高校に通っていたので、学校が終わった後にお互いに訪ね合いっこをして。

——その後、札幌に仕事で来ていた手塚治虫先生にお二人で漫画を見てもらうことになるわけですね。

山岸 そうなんです。高校3年生の時ですから、漫画を描き始めて1年くらいで、やっと描き方がわかりかけた頃に大御所に見ていただいたという……。箸にも棒にも掛からない絵で、手塚先生も批評するのにすごく困ったと思います。

——でも手塚先生に描いたものを見せに行こう、と思えたところがすごいと思います。描き上げて誰かに見せる、というところにハードルを感じる新人の方はとても多いので。

山岸 実際に手塚先生を追いかけて、編集さんを呼び止めたのは大和さんですけれどね。私は後ろからおたおたとついていくだけで。でも漫画家を目指そう! という気持ちは二人とも同じでした。私は本当に下手なのに、「漫画家にならなければ死ぬ」というくらいに思っていましたから。自分を表現する場所を「見つけた、見つけた、見つけた!」という感じで……これ以外の道が自分にはないような気がしましたね。必死でした。

——小さい頃からやられていたバレエを辞めたことも大きかったのでしょうか。

山岸 そうだったのかもしれません。今思うとお子様芸のバレエだったので、バレエをやらなくなったことが、世界を閉ざしたとも思わなかったのですけれど。そのころ母が亡くなったりして、家庭も混乱していたこともあって、自分がどういう状況になっているのかに気づいていなくて。しかも運良くなのか、間違ってなのか、猛烈な進学校に入ってしまったんですよ。そうしたらいきなり劣等生になってしまって……。いろいろなことが重なって、自分を表現する道を閉ざされてしまった。ただ、自分が何かを表したいと思っているのだと気づいたのは、漫画家を目指そうと思った時でした。それまではそういう気持ちが自分の中にあるとは思っていなかったので。



本当の漫画家になれる人は、編集者につぶされることはない

——本格的に投稿や持ち込みを始めたのは高校を卒業されてからですか。

山岸 はい。短大に入ってからですね。一番初めは、「少女フレンド」に持ち込んだんです。そうしたら「あなたの描くものは『COM』に向いている」と言われたんですね。マニアックな雑誌向きだと。 ­

——どんな話だったのですか?

山岸 孤独な少女の話でしたね。歩いていたら、大きな水たまりに出合うんです。ひょっとのぞき込むと、そこにものすごく青い空が映っているの。その水の上をそろそろと歩いたら、自分が青空の中を歩いているような気持ちになる……というようなお話です。そこまでしか覚えていないのですが。

——そんな素敵なお話が少女漫画雑誌向きではないと言われたのですか。

山岸 自分では少女漫画だと思っていたんですけれどねえ……。下手ながらもバリバリの少女漫画の絵でしたから。その時代の少女漫画は、スポ根かラブコメしかOKではなかったのです。

——就職されてからは「マーガレット」に持ち込みに行かれる。

山岸 その時は、まず絵がレベルに達していなかったのと、ストーリーが一般受けしないというのを編集さんに見抜かれて。「このままお勤めを続けたら?」と言われましたね。でも「りぼん」の編集部に寄って、ダメもとでその作品を見てもらったら、おもしろいと言ってくださった編集さんがいて、「また送ってきて」と。私はお世辞だと思ったからそのことを忘れていたんですけれど、年賀状に「描いてますか?」と書いて送ってくれたんですよ。それで、体操ものを描いて送りました。ラブコメは描けないから、スポ根ものを。

——二択なら、スポ根だと。

山岸 この頃には「雑誌に合わせる」という気持ちになっていたので、「自分を殺してでも、出版社のお望みの作品を描こう」というふうに思っていました。でも、ちょうど体操ものの連載が決まっていたそうで……「別のものを描いてくれたら無条件で載せます」と言ってくださったので、今度は卓球ものを描いて送ったんです。

——デビュー作になる『レフトアンドライト』ですね。その編集さんからは作品づくりに関してどんなアドバイスをもらいましたか。
デビュー作『レフトアンドライト』(1969年)。事故で右腕が使えなくなってしまった右近さん(ページ左下)と、左さん(ページ右上)が卓球でペアを組み、大会で優勝するまでを描く。山岸先生ならではの、スポーツをする人の美しい体のラインにも注目を。



山岸 それが一切アドバイスをしない編集さんだったんです。私の言っていることを「うん、うん」とただ聞く。聞いてくれる人がいると、話がまとまっていくんですよね。そうすると「今の話、編集長にそのままして」と言われるので、編集長にまた同じ話をすると、横で聞いていた編集さんが「山岸さん、僕に説明したのと一から十まで同じですね! どこにそんな記憶力が?」って言うんですよ。でもね、記憶力でものを言っているのではないのです。頭の中に想像ができあがっているから、想像力でしゃべっているのです。

——だから同じ説明になるのですね! お話作りは今も同じ方法ですか?

山岸 今もそうです。だから私、人からネームに口出しをされるのがすごくダメで……。編集さんが替わってからはとても苦労しました。最初の編集さんだけですね、何も言わなかったのは。ほかの編集さんからは「パンタロンをはいてタバコをふかしながら歩く男の子を出したらどうですか?」とか言われてしまって(笑)。

——この記事を読む新人の方たちは、担当編集者とどうつきあったらいいかと悩むこともあるようなのですが、先生は自分の思っているのと違う方向のアドバイスをするような編集者と、どうやってつきあっていかれましたか?

山岸 結構自分ではすり合わせたというか、折れたという気持ちはあるんですけれどね……あまり多くは折れていないかもしれないですが(笑)。アシスタントさんからも、持ち込みをして編集さんがついたものの、うまくいかなくて苦労している、と聞いたりすることはありました。厳しいことを言うようだけれど……「自分が本当にこれを描きたい」と思っていれば、どんなに編集さんが無理難題を言ってきても、「ここまでは妥協できます。でもここから先は妥協できません」とすり合わせることができると思うんですよ。「編集者につぶされる」という話も聞きますが、本当の漫画家になれる人は、編集者につぶされることはない。そこから立ちあがって、漫画家になっていくんだよ、と彼女たちには言いましたね。

——本当に描きたいものがあれば、それができると。

山岸 編集者だって、ただ無理難題を言っているわけではないですよね。こういうストーリーの持っていき方ではダメ、と言われるうちに、「こうやると読者には受けないのか」ということも徐々にわかってくる。私だって読者受けを考えなければいけないと思ってはいましたし。でも本当に描きたいところをダメと言われたら、その話を描く意味がなくなってしまいますから……。デビューした時の編集さんが何も言わない方だったおかげで、新人なのに、私はずいぶんわがままを聞いてもらいましたね。
仕事場に入ってつきあたりの壁は、一面本棚。山岸先生の座る席のすぐ後ろには『レベレーション(啓示)』関連の資料が。





近日公開の後編に続きます!



第6回THE GATE、締め切り迫る!

第6回THE GATEの応募受付は、まもなく11月30日(木)締め切りです!(当日消印有効/ウェブ応募は同日23時59分まで受け付け)

応募要項等の詳細はこちらのページをご覧ください!
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プロフィール

門倉紫麻(かどくら・しま)
1970年、神奈川県出身。漫画ライター。
Amazon.co.jpエディターを経て、フリーライターに。「FRaU」「ダ・ヴィンチ」「レタスクラブ」などで主に漫画に関する記事の企画・執筆、コラムの連載を行う。
著書に、「ジャンプ」作家に漫画の描き方を聞く『マンガ脳の鍛えかた』、宇宙飛行士らへのインタビュー集『We are 宇宙兄弟 宇宙飛行士の底力』『We are 宇宙兄弟 宇宙を舞台に活躍する人たち』がある。

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