門倉紫麻 漫画家になるための戦略教室

熱意はある。努力もしている。「才能あるよ」とも言われた。
でも、なぜか漫画家になれない——。
そんな漫画家志望者のあなた。
熱意はあって当たり前。努力も言わずもがな。
才能は、確かにあったほうがいい。
でも、漫画家になるためには、それでは足りない
「戦略」が、必要なのです!
漫画ライター・門倉紫麻が、作家陣へのインタビュー、モーニング編集部への
潜入取材を敢行して探った、その戦略とは!?
どこよりも実践的な漫画教室、開校!!

【9限目】 特別インタビュー「僕が“森川ジョージ”になるためにやってきたこと」(2/4)(2016/10/06)

「週刊少年マガジン」にて、連載開始より今年で27年目を迎えるボクシング漫画『はじめの一歩』を連載中の森川ジョージさん。森川さんは、4歳の時から「ちばてつやになる」と決めて漫画家を目指していたという。

ちばさんに会うために「ちばてつや賞」の授賞式にもたびたび出席される森川さん(ご自身はちば賞出身ではありません)。その席で受賞者に、ちばさんの逸話やご自身のお話をしてくださるのですが、それがあまりに面白く、漫画家を目指す新人さんにぜひ聞いてほしい内容だったので、このたびインタビューを敢行しました!

小学3年生から「連載漫画」を描き、自ら「読者アンケート」を取るなど、漫画家になるための「戦略」を練り続けていたという森川さんの言葉には、すぐ真似したい「漫画家になるための具体策」が満載です!!

また、森川さんの漫画家人生を変えた、ちばさんの「ある言葉」も必読!

取材時間2時間半、2万字超えの大ボリュームで全4回にわたりお届けします!!(第1回はこちら!

写真=関根虎洸



【第2回】
40歳手前で、ようやく「森川ジョージ」になれた


読者には、連載を打ち切りにする権利がある

——最初の連載が打ち切りになった後、次の連載はすぐに始まったんですか?

森川ジョージ(以下、森川) これがまた早くて。「マガジンフレッシュ」っていう新人が載る雑誌で読み切りを描いたんだけど、アンケートで確か1位を獲って。それで「マガジン」本誌で週刊連載をやることになるんです。19歳の頃でしたね。

——19歳で!

森川 そのころのマガジン編集部って、なんかほのぼのとした、牧歌的な感じでね。「これ連載にしちゃおうか?」「うん、しちゃおう!」みたいな感じで決まっちゃうんですよ。サッカー漫画を描いたんだけど、1試合最後まで描かずして打ち切りになっちゃった。15週だったかなあ。その時はさすがに突然終わりにはできないと思って、担当編集に人気は毎週教えてほしい、終わる時はせめて5週前には教えてくれと言ってあった。生意気だよね、新人なのに。

——二度目の連載で、終わる時にどうするかまで、あらかじめ考えている新人は少ないんじゃないでしょうか。

森川 僕はアシスタント先で週刊連載が終わるのを目の当たりにしていたから。漫画は、人気をとらなきゃだめなんですよ。人気がすべて。デビュー前に授賞式で言った「先に生まれただけで威張るんじゃねえよ!」っていうのは、デビューしてからもずーっと思っていて。漫画で人気とるやつが一番です。今でもですよ。僕、今「マガジン」の連載作家の中で一番年上なんだけど、僕が年上だからというだけで敬語を使う必要もないと思っているし、今一番人気をとってるやつが一番偉いと思ってます。そういう業界でいいと思ってる。

——おもしろい漫画より、人気がある漫画が上ということでしょうか。

森川 いや、おもしろい漫画が人気がある漫画なんだよ。それは間違いない。

——デビュー後はしばらく、作品ごとに絵柄を変えたりもされていたようですが、それも人気をとれるものを模索してのことですか?

森川 うん。ウケないものをそのまま持ってちゃいけないんですよ。ウケなかったら、捨てる。編集部には、打ち切りにする権利はないと思うんだけど、読者にはあるからね。読者がいらないって判断したものを、そのまま次の漫画に持っていったら、またいらないって言われるんです。だからそのままの自分じゃ絶対にダメ。ボクシングだって、前にKO負けした人と二度目の対戦をする時に、前と同じ自分のままで出ていったら、またKO負けするでしょう。絶対に違う武器を持って次の試合にいかなければいけないんですよ。だから僕はガラッと絵を変えたけど、なんでみんなやらないんだろうって思っていました。
連載2作目(初の週刊連載)『一矢NOW』の扉より。読者により「ウケる」絵柄を探るため、1作ごとに絵を変えてきた森川さん。デビュー作『シルエット・ナイト』の硬質な男っぽい絵と比べると、キャラクターの顔などが丸みを帯びた立体的なものに変化。探求を続けることによって、森川さんは現在の絵柄を獲得した。



——新人の場合、自分らしさ、みたいなものにこだわってしまって、絵を変えたらそれが減ってしまうような気持ちになることもあるのではないでしょうか。

森川 確かに漫画家って、自分の絵が大好きなんです。だから絵を変えることには抵抗がある。僕も最初は抵抗がありましたよ。だけど自分でその絵がいいと思っていても、読者がそう思わなければ変えるしかない。自分で判断することじゃないんです。僕はこれでいいんだ!ってリングにあがって、客席に誰もいなかったらプロじゃない。読者はいいと思うものにお金を払って、漫画家はそれに感謝して「じゃあもっといいものを!」と思って描く。それにまた読者がお金を払ってくれる。それがプロとして当たり前だと思う。読者とは、そういう信頼関係がないとダメだと、若いころからずっと思っていました。



『あしたのジョー』じゃないボクシング漫画を描こうと思った

——3回目の連載はどんな作品でしたか。

森川 21歳の時に、F1漫画が始まるの。これは13週で打ち切り。どんどん連載期間が短くなっていった。

——それはなぜだと思いますか?

森川 うーん。結論は出ないんですよ。今同じものを描いたらウケるかもしれないし……。ただね、僕の分析なんですけど、漫画って「描きたいもの」と「描けるもの」は違うんですよ。僕はずっと、ちばさんみたいな漫画が描きたいって思ってたわけです。

——「ちばてつやになりたい」と思って。

森川 うん。「マガジン」作家の、天才の系譜があると思うんだけど、ちばてつや、小林まこと(代表作『1・2の三四郎』など)、しげの秀一(代表作『バリバリ伝説』など)、この3人が僕の中では天才で。僕の絵を見ればわかると思うんですけど、確実にこの3人の影響を受けているし、3人の作品みたいなものを描きたいと思っていた。今新人さんに聞くと、やっぱり「○○さんみたいな漫画を描きたい」って言うんですよ。でも「○○みたいな」って言った瞬間に、アウト。それはパクリなんです。最初はパクリから入っていいんですよ。模倣から始めて、勉強していくんだから。でもプロになったら、それではダメ。『あしたのジョー』と「『あしたのジョー』みたいな漫画」が本屋さんに並んでいたら、どっちを買いますか、ってことなんですよ。絶対に『あしたのジョー』を買いますよね。僕は、連載を3回失敗して気づいたんです。ずーっとちばさん「みたいな」ものを描く、と思ってちばさんを追いかけてきたけれど、それは間違っていた、と。


——3回目の失敗でそれに気づいたことが、『はじめの一歩』の連載開始へとつながっていくわけですね。

森川 そうです。担当編集とは、会うたびにマイク・タイソンがこうだったよとかボクシングの話をしてたんですよ。なのに、なんでボクシング漫画を描かないんだってずっと言われていて。ボクシングだけは避けてたんですよね。

——『あしたのジョー』があるからですか。

森川 そう。でも、「おそらく次が『マガジン』で連載する最後のチャンスになる。だったらボクシング漫画を描いてみろよ」って担当編集に言われて。僕も、それなら最後にボクシング漫画を描いてみようと思ったんです。でも「マガジン」でボクシングを題材に描くってことはやっぱり『あしたのジョー』のことを考えないわけにはいかないし、「『ジョー』のようなものを」って思ってしまいそうになるんですよ。だから、「『ジョー』じゃないボクシング漫画を描こう」と考え始めたわけです。で、まず、減量をきつく描かないと決めた。

——『ジョー』では力石徹が壮絶な減量をしますもんね。

森川 いろんなボクサーに話を聞いたんですけど、楽しくボクシングをやっている人がほとんどなんですよ。ジョーや力石みたいにストイックなボクサーには、僕は会わなかった。だから僕の漫画のキャラクターたちは、ボクシングを楽しくやっているやつらだと決めた。それと、クロスカウンター(『あしたのジョー』ではジョーの得意とするパンチとして登場する)は、ただの相打ちじゃないか、ということも描いた。(原作の)梶原一騎さん(『あしたのジョー』は高森朝雄名義)とちばさんの否定から入ったんです。「全然違う漫画だよ」って読者に見せるわけです。『ジョー』を読みながら、ちばさんの失敗を見つけようとしたんですよ。これはやっちゃいけないんだなっていうことを洗い出していった。失敗からしか、学べないんですよ。ちばさんにだって、小林さんにだって、しげのさんにだって失敗はある。だからそれを読んで、これはやらないぞ、というところを勉強していった。もちろん僕も『一歩』でさんざん失敗してると思いますけど、それは自分ではわからないからね。

——でもそこまでずっと目標にしてきた人の作品を否定していくのは、つらくはなかったですか?

森川 うーん……ちゃんと話しましょうか、ここは。

——はい、ぜひお願いします。



ちばさんの言葉で、頭の上の重いものがパーッと取れた

森川 あのですね、僕はちばさんの漫画が大好きで、ずっと片想いをしていたんです。「マガジン」に連載できて、「やっと両想いになった!」と思うじゃないですか。ちばさんの『あした天気になあれ』の横に載れたんですから。夢のようだった。でも、連載をするたびに、ことごとく弾き飛ばされるわけです。ちばさんのようになりたいなんて甘い考えでいると、横に載ることすら許されないということがわかった。僕ぐらいの才能だと、ちばてつやに「勝つ」って思って武器を身に着けないと、そばにも行けないんです。

——「ちばてつやみたいになる」から「ちばてつやに勝つ」に変わったんですね……。

森川 人生をかけても負け戦なのはわかっているんですよ。追いつくことはない。でも「勝つ」と思うことで、間はあいているけれど、少しでも距離を詰めながらなんとかついて行けるようになる。才能はないけれど、唯一の武器である粘り強さで、『はじめの一歩』もここまで続いて来ているんだと思う。だから僕は、ちばさんを否定する作業をしてきたわけではなくて、そばにいたいから、ちばてつやみたいになろうとするのをやめる、っていう作業をしてきたわけです。

——意識を変えてから、距離は縮まっていきましたか?

森川 さっきね、ちばさんを富士山に例えたでしょう。連載を3回も失敗しながら富士山の近くまで来て、ようやく『はじめの一歩』を始めて、富士山に登り始めたかなって思っていたんだけれど……山っていうのは遠くから見るとすごく輪郭がはっきり見えるから目指しやすいんですよね。でも登り始めてみると、いま自分がどこにいるかわからなくなるんです。中腹にいるのか、まだふもと近くにいるのか、わからない。ちばてつやって僕にとってはそういう存在だった。近づいたなって思ったのに、見えなくなっちゃったんです。

——近づいては離れ、を繰り返していたんですね……。実際にちばさんとお会いする機会はあったんですか。

森川 最初は野球の試合でお会いしました。ちばさんがファーストを守っていて、僕はバッターで。明らかな二塁打か三塁打だったんだけど、ファーストまで行ったら走るのをやめて、ずっとちばさんの横にいました(笑)。それくらいちばさんが好きなわけですよ。横にいても、顔なんかまともに見られなかったですけどね。背中越しに「ナイスバッティング!」って言われて「ありがとうございます!」って言ったのは覚えてます。

——なんとも初々しいお話ですね!

森川 まだ僕も二十歳くらいでかわいいころだったからね(笑)。その次が24歳くらいで、『一歩』で講談社漫画賞を獲った時。ちばさんが審査員だったので、漫画家と審査員として会っているんです。ちばさんから賞をもらったのはうれしいんだけど、まだ「作家同士」ではないですよね。

——なるほど。まだ同じ立場ではない、ということですね。

森川 ええ。作家同士として初めて話ができたのは、ちばさんが「マガジン」を去った後。雑誌で対談をすることになって。僕が40歳手前くらいだったかなあ。『一歩』が結構ヒットしていたので、調子に乗っていたころです(笑)。ドキドキしてね……「思いの丈を言っちゃおう! 大好きですって告白しちゃおう!」と思って行きました。で、「僕はちばさんがいなければ、今ここにいません。ちばさんは僕にとって神様みたいなものです」って言ったわけですよ、素直になって。そうしたらちばさんがね、「森川さん、それは違うよ」って。「みんなね、僕のこと神様みたいに言うけど、困っているんだよね。それは全然違っていて、僕がただ、先に生まれただけだよ」って言ったんですよ。ハッとして。今まで僕はずっと、目上の人にキャンキャン言ってたわけですよね。「先に生まれただけで威張るんじゃねえよ」って。そんな僕に、ちばてつやはさらにこう言うわけですよ。「僕があとに生まれていたら、きっと僕が君の漫画を真似していただろうね」って……もう泣きそうになっちゃって。

——うう…………。

森川 そのころ、かなりとんがって生きていたんですよ。ずっと、「マガジン」を日本一の漫画雑誌に引っ張り上げるぞっていう責任感があって。ちばさんがいなくなった「マガジン」を、僕が!と勝手に思っていたから。そんな時にちばさんがそう言ってくれたから、責任感とか、頭の上にあった重いものが、全部パーッと取れたような気になってね。ああ、この人を目指してきてよかった、って改めて思いました。同時に、この人に勝てるわけねえや、とも思った。ちばさんという山を目指してきたと思っていたけれど、僕はまったく違うところを登っていたんだなあと。ちばてつやにはなれなかったけど、ちばさんのおかげで、僕は森川ジョージになれたんだなって、素直に思えました。

——……(感動のあまり泣いている)。

森川 いい話だよね(笑)。とっておきのいい話。ちばさんって、びっくりするぐらいいい人でさ。だからね、今ちばてつや賞の授賞式で、ちばさんの手から賞状をもらう人たちを見ていると、「重いんだよ、その手は!」って思うよ(笑)。



『はじめの一歩』第1話で、初めて自分の素直な気持ちを描いた

——それだけちばさんをお好きなら、ちばてつや賞に応募しようと思ったことはなかったんですか? 直接原稿を見てもらえる機会だと思うのですが。

森川 そう思ったことはなかった。ちばさんの横に載りたかったから。

——最初から作家同士でありたかったんですね。

森川 うん。でもね、『一歩』の連載900回記念の時だったかな、何がほしいですかって担当編集に訊かれて、どうしてもちば賞のトロフィーがほしいって言ったの。「プレートのところに“森川ジョージ連載900回記念”って書いて!」って。そのトロフィーは、仕事場の、いつも見えるところに置いてあります。

——本当にどれだけちばさんのことを……。

森川 好きすぎるでしょう(笑)。

——先ほどのちばさんとの対談は、『一歩』が始まってから10年近く経っていて、もうヒット作として安定している時ですよね。それなのに「マガジン」を引っ張り上げねばといったプレッシャーですとか、重いものをいろいろと抱えていらしたとは驚きでした。

森川 今でも怖くてしょうがないですよ。打ち切りの呪縛から逃れられない。毎週必ず人気アンケートはチェックするし、半年分くらいたまると折れ線グラフにして、人気がどう推移しているのか、自分はどの回で1位を獲っているのかを見ている。ほかの作家のデータも一緒にグラフにしているから、彼はこういうときに強くて、僕はこういうときに弱い……じゃあ、彼がこんな展開になりそうな時には、僕はこういう展開の話をぶつけよう、とか考えたりします。

——これだけ連載が続いても、打ち切りの可能性を考えていらっしゃるんですね。今はむしろ編集部側が連載をやめられては困るのでは。

森川 でも決めるのは、読者だからね。
1989年「週刊少年マガジン」に掲載された『はじめの一歩』第1話カラー扉。



——『一歩』は第1話から大人気で、アンケートで1位を獲ったそうですね。

森川 はい。この第1話って、連載準備の1年半の間に六十数ページのネームを、80回くらい描き直しているんですよ。

——80回ですか!

森川 打ち合わせをしているうちに、迷路にはまっていってしまうんです。何が良くて何が悪いのか、全然わからなくなっちゃうんです。だから最後は原点に戻って、このセリフを描いた。

——出会ったばかりの、天才ボクサーである鷹村に向かって、主人公の一歩はこう言います。「鷹村さんみたいに強くなりたい タイソンみたいに生まれ変わりたい…」。次のページでは「鷹村さん…強いって… 一体どんな気持ちですか?」と。
『はじめの一歩』1巻、第1話より。いじめられっ子で気弱な少年・一歩が、天才ボクサー・鷹村に出会い、自分の正直な気持ちを吐露する——。当時の森川さんの本音が、このセリフに詰まっている。



森川 この時、僕は初めて素直に漫画を描いたんだと思う。このセリフは、ちばさんに向けて言っているんです。「ちばさんみたいにうまくなりたい ちばさんみたいに生まれ変わりたい」「ちばさん…うまいって… 一体どんな気持ちですか?」って。漫画家として全然うまくいかなくて、ずっと苦しかった僕の気持ちを、初めて漫画の中で言ったんです。今まで、カッコつけて漫画を描いてきた僕が、初めて裸で大の字に寝て「どうだ!」とやったわけです。そうしたら、初めて読者に受け入れてもらえたんですよ。



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プロフィール

門倉紫麻(かどくら・しま)
1970年、神奈川県出身。漫画ライター。
Amazon.co.jpエディターを経て、フリーライターに。「FRaU」「ダ・ヴィンチ」「レタスクラブ」などで主に漫画に関する記事の企画・執筆、コラムの連載を行う。
著書に、「ジャンプ」作家に漫画の描き方を聞く『マンガ脳の鍛えかた』、宇宙飛行士らへのインタビュー集『We are 宇宙兄弟 宇宙飛行士の底力』『We are 宇宙兄弟 宇宙を舞台に活躍する人たち』がある。

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