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【インタビュー】 鹿島アントラーズ 三竿健斗[前半](2018/12/14)


ACLを制覇し、クラブとして20冠目を獲得した鹿島アントラーズ三竿健斗はその中心選手として活躍し、アジアサッカー連盟が選ぶ年間最優秀選手の最終候補にも名を連ねた。彼のサッカー人生を振り返ると、節目ごとに、大切な人と交わした言葉があった。




思い返すのは「地獄」

2018年11月10日、イランのアザディ・スタジアム——10万人が詰めかけた完全敵地の中、鹿島アントラーズのMF三竿健斗が、試合を終えて最初に抱いたのは安堵だった。

「アウェイでの試合だったので、ずっと失点しないことを考えてプレーしていましたね。だから、無失点で試合を終えられたことに対して、『やっと終わった』という感じでした」

ホームで戦ったAFCチャンピオンズリーグ(ACL)決勝第1戦を2-0で勝利した鹿島は、アウェイで迎えた第2戦で相手の反撃を耐えしのぎ、0-0で引き分けた。これにより2試合合計2-0で勝利し、ACL優勝。それはクラブ史上初のアジア制覇であると同時に、記念すべき20冠目でもあった。

写真=AFP/アフロ


「昨年、(最終節で)J1のタイトルを逃して、そこからしばらく立ち直ることができなかったですし、1年間……何て言えばいいんですかね……ずっと悔しさを抱いてプレーしてきました。(今年も)J1の優勝を逃して、もうACLしかないと思っていただけに、優勝できた瞬間は、本当にホッとしました」

安堵の次に湧いてきた歓喜という感情の中で、三竿は1年前の出来事を思い出していた。

2017年12月2日、ヤマハスタジアム——J1最終戦でジュビロ磐田に引き分けた鹿島は、最後の最後でタイトルを逃した。そのとき流した涙や喪失感は、ずっと色褪せることもなければ、消え失せることもなかった。

「もう地獄でした。本当に頭の中が真っ白になるというのは、こういうことなんだなって。試合が終わった瞬間の、スタジアムの静けさ。特に鹿島のサポーターが静まり返っていた感じは忘れられないですよね。その瞬間、ダメだった(優勝できなかった)んだって思いましたから。普段、冗談で地獄という言葉を使いますけど、あのときほど、地獄という表現が合う光景はないと思います。悔しいという気持ちを通り越して、もう、無でした。その後、1週間くらいは何もしたくなかったし、誰とも話したくないくらいでしたからね」

そう言うと、三竿はさらに言葉を絞り出す。

「だから、全部がつながっているんですよ」

今にも1年前の悔しさが甦ってくるような口調だった。



「昨年のJ1最終節のときは、自分のプレーをすることが精一杯で、どうしても周りに頼ってしまっていたところがあったんです。そのとき、やっぱり、ボランチがそういうプレーをしていれば、チームが勝てないということをすごく感じたんですよね。それで、相手が何をされたら嫌なのかを考えながらプレーしようと気づけたんです。だから、今年はそこにフォーカスしてプレーしてきて、ACL決勝という最後の最後で、特に第1戦は自分の思ったプレーができて、タイトルを獲ることができたので、少しは対応力が身についたのかなって感じています」

だからこそ、三竿にとって、この1年はつながっていたのだろう。

「基本的に自分は、経験したことから学んで成長するタイプ。うまくいったことも、うまくいかなかったことも含めて、すべてのことに意味があると思っているんです」

ただ、三竿が「つながっている」と話すのは、今季だけのことではない。それこそサッカーをはじめ、いつしかプロを目指し、東京ヴェルディを経て、鹿島でプレーするようになった今日まで、すべてのことを指していた。



ノートの表紙に書いた文字

インタビューをはじめてしばらく経ち、日本代表について話題が及んだ。ロシアワールドカップに臨む日本代表において、直前までメンバーに選ばれながら、最終的に外れた悔しさは「今の自分にどうつながっているのか」を聞いたときだった。

「日本代表に選ばれるようになって、その都度、経験して学ぶこともあって、それを持ち帰って鹿島でチャレンジする繰り返しの中で、自分自身も成長していると感じることはできていたんですよね。でも、よくよく考えれば、初招集されたのが2017年12月で、その後、試合に出たのも3月のマリ戦くらい。そんなにうまくいくわけないだろうなと思うところもありました……」

「でも?」と聞けば、三竿は頷きながら言葉を続ける。

「はい。それでも、めちゃめちゃ悔しかったんです」

すると三竿は、ワールドカップへの思いを聞かせてくれた。

「実は、ヴェルディのユースでプレーしていた高校3年生のときから、ロシアワールドカップに出場することを目標としていたんです。だから、逆算して、2016年に鹿島への移籍も決断した。その年は鹿島で試合に出られず、1年遅くなってしまいましたけど、2017年途中から試合にも出られるようになって、日本代表にも選ばれて、自分の思い描いていた目標に近づいてきていた。だからこそ悔しかったんです」

きっかけは、東京ヴェルディユース時代のコーチ、土肥洋一から言われたひと言だった。



「土肥さんに『お前みたいなタイプのボランチはいないから、ロシアを目指すんだぞ』って言われたんですよね。それで確かにロシアワールドカップのときは年齢的にも22歳だし、目標を立てて、そこに到達するために逆算しながらやっていこうと考えたんです」

用意したノートの表紙には大きく「ロシアワールドカップ」と書いた。中には短期、中期の目標を綴り、そのときどきで気づいたことや課題を記していった。

鹿島に移籍した2016年は、試合に絡めず、悩ましい日々が続いたが、それでもノートを綴ることはやめなかった。

「19歳で鹿島に移籍して、最初の紅白戦でレベルの違いを感じて、それでも毎日が勉強だと思ってきました。もちろん試合に出るつもりで移籍しましたけど、日本で一番上のクラブに入って、すぐに試合に出るのが難しいことも分かっていました。それでも目標を達成するために覚悟はできていたので、試合に出られなくても必死に、楽しくやっていました」

時間もあったことから、たびたび書店に足を運ぶと、19歳ながら自己啓発につながる書籍を読み漁ったと笑う。



「プレーも含めて、今は我慢する時期だと思って、いろいろなことを吸収しようって考えたんです。たくさん本を読んだおかげで、心も成長したと思います。シーズン途中には、紅白戦でも普通にプレーできるようになって、少し自信がついたところもありました。でも、当時の自分にはまだ力がないということも納得していました。2016年は、ほとんど試合に出られなかったですけど、それでも無駄にはなっていないと思います」

その当時、読んだ書籍の内容で覚えている言葉やフレーズがないかを聞いた。

「一言一句覚えているわけではないですけど、印象に残っているのは、『成功するまでやり続けろ』や『失敗は失敗ではなく経験』という言葉ですかね。他にもビジネスで成功している人の習慣だったり、生活習慣に関する本だったり、栄養学の本も読んだりしました」

それらの書籍からヒントを得た言葉たちも三竿を成長させることに一役買っていたし、鹿島での日々も、彼をひと回りもふた回りも逞しくしていった。 (前半了)



取材・文=原田大輔(SCエディトリアル)
写真=佐野美樹






明日公開の後半に続きます!

三竿健斗(みさお・けんと)

1996年4月16日生まれ。東京都出身。鹿島アントラーズ所属。MF。
育成年代もプレーした東京ヴェルディを経て、2016年に鹿島へ加入。日本代表にも名を連ねるボランチへと台頭した。



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