GIANT KILLING extra

【ファミリー~Jリーガーと家族 ③】 浦和レッズ 柏木陽介選手(後編)(2016/09/29)

『GIANT KILLING extra』の新しいインタビューシリーズが始まりました。

Jリーガーが語る、家族の物語《ファミリー》。いつも応援している選手たちの、普段見せない顔に、ぜひ出会ってください。

川崎・小林悠選手(前編後編)、広島・森﨑和幸選手(前編後編)に続く三人目の登場は、浦和レッズ・柏木陽介選手です。前編はこちら



浦和レッズでプレーする柏木かしわぎ陽介ようすけは、中学を卒業すると同時にサンフレッチェ広島ユースへ加入した。15歳にして親元を離れて寮生活を始めていただけに、母・清美きよみさんが作ってくれた手料理の話題になると、舌の記憶を刺激したのか口調は滑らかになった。

「子どもの頃に一番好きだったのはハンバーグだったんですけど、大人になってからは粕汁ですね。本当に粕汁は一番うまい。あれはもうたまんないくらいにうまい。もう、みんなに振る舞いたいくらいですもん。うますぎて。オカンの料理は基本的に全部、うまいっす。子どもの頃はハンバーグが一番で、基本的には米がすすむように濃い味にできている。安くすむように(笑)。特にハンバーグは、ケチャマヨ(ケチャップとマヨネーズ)で食べるのが好きだったんですよね。だから未だにハンバーグはケチャマヨで食べたい。嫁も料理はすごく上手なんです。それでハンバーグを作ってくれたときにはデミグラスソースをかけてくれたんですけど、そのときだけは、『オレはケチャマヨがいいねん』ってお願いしましたね」

柏木いわく、母・清美さんと今春に入籍した妻・なぎささんの性格は真逆だという。2度の離婚を経験し、人生の多くを女手ひとつで、しかも3人の兄妹を育てた清美さんとはどんな母親だったのだろうか。話を聞く前から、強い興味を抱いていた。

「(家計は)しんどいはずだったのに、そのしんどい表情を全く見せない人でしたね。本当に子どもたちのためにすべてのことを全力でやってきてくれたお母さんだったと思う。自分のことよりも、オレら子どもたちのことを常に第一に考えている。そんな人ですよ。本当に元気なところしか見たことがなかった。いつも冗談を言って笑わせてくれる。もちろん悪いことをしたら怒られましたけど、基本的に明るい人だったので、めちゃめちゃ怒られているって感じはなかったかな」

柏木が、複雑な家庭環境にすさむことも卑下することもなく、のびのびと大好きなサッカーに打ち込めたのは、母・清美さんの明るい性格や、笑いを絶やさない育て方が大きかったのだろう。「でもね」と言って、柏木はうれしそうに話を続けた。

「子供の頃は2つ年上の兄もサッカーをやっていたんですけど、例えばオレが小学生で兄が中学生になると違うチームになりますよね。それで試合が重なったときには、オカンは必ずオレの試合を観に来てましたね。絶対、観に来るのはオレの試合。基本、関西のオカンなので試合中は『いけー』とか『決めろー』とかうるさかったですよ。でも監督が、親たちにサッカーに関しては口出ししないように言ってくれていたこともあって、あまりぐちぐち言われたことはなかったですね。一度、『何でオレの試合を観に来るの?』って聞いたら、『観てて楽しいのよ』って言っていたのは覚えてますね。まあ、兄よりオレのほうがうまかったというのもあったと思いますけど(笑)」


父親のように叱ってくれる3人の指導者たち

父親がいなくても寂しくなかったと言えば、噓になる。他人を羨むことがなかったと言えば、噓になる。だが、その事実を忘れるほどに、彼は人との出会いに恵まれていた。彼の人生には、常に父親と呼べるような存在の人が近くにいた。本気で柏木を心配し、本気で怒ってくれる人が必ずそばにいた。

その一人は、両親の離婚を機に、兵庫県揖保いぼ御津みつ町(現・たつの市)に引っ越してきた柏木に声を掛けてくれた出口でぐち幸治こうじだった。小学校の校庭で兄と二人でボールを蹴っていた柏木を、出口が「うちのサッカークラブで一緒にやらないか」と誘ってくれ、御津スポーツ少年団でプレーするようになった。その出口の助言は絶大で、言われるまま、ジュニアユースでのJクラブ入りを見送り、中学を卒業してから広島ユースへ進むことも決めていた。

「プロになって2年目ですかね。試合にも慣れてきたところです。味方からパスが来なかったとき、ついつい『チェッ』って態度を取ってしまったんですよね。その姿がテレビに映っていたみたいで、試合後、電話が掛かってきて『お前、あんなことをするようじゃ、一生よくならないぞ。サッカーはチームスポーツだろ!』って怒られました。普段はタメ口なので、『ごめん』って謝ったんですけど、心の中では『うるさいな』って思っていた。でも、時間が経つと、言われた言葉の意味を痛感しましたね」

柏木の父親代わりは他にもいる。もう一人は、広島ユース時代の監督・森山もりやま佳郎よしろうだ。ゴリさんの愛称で親しまれる森山は熱血漢でも知られ、ユース時代の柏木を厳しく指導してきた。

「レッズに移籍してからですけど、チームも自分も調子が悪く日本代表から外れるようになって、サッカーに対して少し情熱を失いかけていた時期がありました。そのとき、ブログに遊んでいる写真を載せたんです。するとゴリさんから『お前は何をしてるんだ! 日本代表の中心になっていかなければダメな選手だろ!』という内容のメールがきた。その言葉で、一瞬にして目が覚めましたね」

そして、最後の一人が浦和レッズのミハイロ・ペトロヴィッチ監督である。広島時代にも彼の指導を受けていた柏木にとって、ペトロヴィッチ監督との付き合いは9年にも及ぶ。

「ミシャ(ペトロヴィッチ監督)も本当に父親のような存在ですね。ミシャには今でも普通によく怒られます。練習中に少しでもふてくされた態度を取れば、『お前、その練習態度はなんだ? 疲れてるならもう休んどけ』ってピッチから即、出されます。でも、自分はミシャも含めて、本当に指導者に恵まれてきました。本気で怒ってくれる人が常に近くにいたから、自由が好きで我儘わがままな性格なのに、ここまでやって来ることができたと思っています」


誰かのためではなく、自分のためにプレーする

まるで父親のように接してきてくれた3人の期待に応え、感謝を示すには、やはり自分自身が成長した姿を見せるしかない。

「小学校時代の監督(出口)とゴリさん(森山)には、日本代表のユニフォームを着てワールドカップのピッチに立つことが一番の恩返しになりますよね。ミシャに関しては、やっぱり、レッズでタイトルを獲ることですね」

くじけそうになったときも悩んだときも、柏木のそばには、いつも叱咤しった激励してくれる人がいた。柏木は、人に恵まれてきたその人生は、すべて母親のおかげだと言う。

「もちろんオカンもそうですけど、その時々で本当にダメなことはダメって言ってくれる人がいる。本当に自分は人に恵まれて生きてきたなっていうのはすごく感じます。それを縁というか、運というかは分からないけど、そういうものをもらえる環境にいる要因は、すべてあのオカンの息子だったからだと思うんですよね。これは本当に、柏木家の血筋だと思う(笑)」

話を聞き始めたときははぐらかしていた柏木だが、最後にはまるで観念したかのように、母・清美さんへの感謝を言葉にしてくれた。そこにはもはや照れはなかった。

「兄は真面目で心配性だから、何かあったらオカンとすぐに連絡を取り合っているんですけど、オレはそうでもない。だから、大事な試合に呼ぶときも、実は『来る?』っていう軽い感じで声を掛けてるんですよ。オレのは、こっそりの愛なんで(笑)。頻繁に会ったり、連絡したりしていないからかもしれないですけど、たぶんオカンはオレのことのほうが好きっすね(笑)。プレゼントもたくさんして、美味しいご飯を一緒に食べに行って、十分、親孝行したとは思っていますけど、まあ、一生かかっても返せないもんは返せないですよね」

これまでの人生において、母親も含めて感謝しなければならない人はたくさんいる。だからこそ、ピッチを駆けることでの 柏木の恩返しは続く。ただ——。

「これまで記者の人たちに『誰のために優勝したいか?』とか『誰のためにプレーしているか?』って聞かれたときは、ついついその空気に流されて、『母親に優勝する姿を見せたい』とか『監督のためにも優勝したい』って言ってきたんですけど、今はちょっと違うんですよね。今は、誰かのためにというより、とにかく優勝したいという思いが強い。もちろん、育ててきてくれた人たちへの感謝の気持ちは忘れず、常に持っていたいとは思いますよ。でも、今は自分自身のためにプレーして、自分自身のために優勝したい。だから、『自分のために』って、はっきりと言えますね」

母・清美さんもその答えを望んでいるだろう。高校生のときから、まるで一家の希望を背負うかのようにプロを目指してサッカーに打ち込んできた。プロになった後も一家の大黒柱としてプレーを続けてきた。だからこそ今は、自分自身のためにプレーしてほしいと……。今季、ピッチには小学生の頃のように、自分自身のために無我夢中でボールを追いかけている柏木の姿があるはずだ。その光景に母・清美さんはこう言うのではないだろうか。

「観ていて楽しいのよ」

もちろんタイトルを獲得する道程は容易ではない。だが、そのプレッシャーに打ち勝ち、トロフィーを掲げたとき、柏木の思いはすべての人に届く。 (了)


取材・文=原田大輔(SCエディトリアル)
写真=佐野美樹

柏木陽介(かしわぎ・ようすけ)

1987年12月15日、兵庫県生まれ。MF。サンフレッチェ広島ユースから2006年にトップチームへ昇格すると、当時広島を率いていたペトロヴィッチ監督の指導もあり主力へと成長。10年に浦和レッズ移籍後は、司令塔として活躍。今季より背番号10を付け、タイトル奪還に挑む。日本代表10試合出場。



《ファミリー》4人目の登場は、
鹿島アントラーズ・土居聖真選手です。
ただいま発売中の「モーニング」44号で
インタビュー前編が読めます!
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