GIANT KILLING extra

【ファミリー~Jリーガーと家族 ①】 川崎フロンターレ 小林悠選手(後編)(2016/08/18)

『GIANT KILLING extra』の新しいインタビューシリーズが始まります。

Jリーガーが語る、家族の物語《ファミリー》。いつも応援している選手たちの、普段見せない顔に、ぜひ出会ってください。

一人目は、川崎フロンターレ・小林悠選手の登場です。前編はこちら



「いつかプロのサッカー選手になって、お母さんを楽させてあげたい」

小学6年生まで母子家庭で育った小林悠は、子供ながらにそんな夢を抱いていた。ただ、現実はそれほど甘くはなかった。背が低く痩せていたこともあって、中学時代は伸び悩み、Jクラブのユースには合格できなかった。

「正直、行く当てがなかったんですよね。それで麻布大学附属渕野辺高校に進学しました。実は、その高校、母の出身校で。当時のサッカー部の監督が初めて担任を持ったのが、うちの母親のクラスだったんです。しかも、母親がコースケ(太田宏介/フィテッセ)をはじめ、同級生の何人かの親に声を掛けたこともあって、みんなが同じ高校に入ったことでサッカー部が強くなったんです。今、考えると、うちのお母さん、すごいっすよね(笑)」

母・久美子さんが尽力した甲斐もあって、優秀な選手が集まったサッカー部は、2年連続で全国選手権に出場した。それなりに脚光を浴びたが、残念ながら小林にプロからの誘いは来なかった。

「正直、高校を卒業するときにプロになれなければ、もう無理だろうなって、思ったんですよね。でも、サッカー以外にやりたいことも見つからなかった。サッカーしながら働いて、お金をもらえるならば、これ以上、親に迷惑をかけないで済む。だから、(自衛隊に)就職して厚木マーカス(※海上自衛隊の社会人サッカーチーム)に入ろうと思ったんです」

ただ、高校時代の尊敬する先輩に、一緒の大学でプレーしないかと誘われ、心が揺らいだ。

「大学に来て、一緒にチームを強くしてほしいって誘ってもらったんです。それで母親と(再婚した)父親に『奨学金も使って迷惑掛けないようにするから、もう少しだけ真剣にサッカーをさせてほしい』って相談したんです」

久美子さんから返ってきた言葉はシンプルだった。

「あなたが決めなさい」

結果的に大学へ進学したことで、川崎フロンターレのスカウトの目に留まったのだから、小林の決断は正しかった。本人はぎりぎりまで悩んだというが、おそらく久美子さんには、進学を相談してきた時点で、どちらを選択するかは分かっていたのだろう。


すべてを懸けていた夢が断たれ母親の前で号泣

再び大学で夢を追いかけ、頭角を現しはじめた小林は、ユニバーシアード競技大会に出場することを目標にしていた。ところが、大会直前に実施されたオーストラリア遠征でケガをしてしまう。

遠征中は詳しい検査ができず、不安に駆られて帰国すると、空港には久美子さんが迎えに来てくれていた。そのまま病院へ直行すると、中足骨骨折で全治3ヵ月と診断された。大会には間に合わない——診察室を出た小林は、廊下にある長椅子に座り絶望した。

「……夢だったというか……大学4年間、それにすべてを懸けていたので……。母親の前でぼろぼろ、ぼろぼろ泣きました」

自然と涙が溢れ、人目もはばからずに号泣した。涙をこらえることができなかった。目前にして夢が消え、虚しさだけが残った。

ただ、久美子さんは強かった。そこには幼少時代から変わらぬ気丈な母がいた。

「お母さんも悔しそうな顔をしてました。でも、この人強いなって思ったのが、僕のことを笑わせてくるんですよね。『ほら、あんた、鼻水すごいよ』って、無理矢理ティッシュを渡して笑わせてくる。そのうち僕もおかしくなってきて、なんか泣きながら笑ってるみたいな感じになって……。そのときに、お母さんはやっぱり強いなって思いましたね。本当にお母さんには支えられました」

一緒に笑い飛ばすことで辛さを分かち合う。それは強き母・久美子さんらしい共有の仕方だった。そして今、小林のそばには、一緒に泣くことで辛さを共有してくれる人がいる。妻・直子さんだ。

「彼女の話をすると僕、泣きそうになっちゃうんですよね」

妻の話題になると、小林は感極まって言葉に詰まった。母親の話をした直後だから余計に琴線が刺激されているのか、その目は微かに潤んでいた。

大学時代に付き合いはじめた直子さんには、中足骨の骨折から復帰した初戦で、今度は前十字靱帯を断裂する大ケガをしたときにも支えてもらったという。

「前十字靱帯のケガって、リハビリにものすごい痛みを伴うんですよ。本当に辛くて苦しい。そのときにはもう彼女と付き合っていたんですが、彼女も当時は大学生で、学校もあるのに、毎日、必ずお見舞いに来てくれたんです。病院に5分、10分しかいられなかったとしても来てくれる。大変だろうから来なくてもいいよって言っても来てくれました。……あのときから彼女には支えてもらっていましたね」

健気に支えてくれる彼女を見て、小林は「この人と結婚したいな」と思ったという。

「大人になって親にもそれほど弱音が吐けなくなっている中で、彼女には弱いところも情けないところも愚痴も……格好悪いところを全部、見せてきましたね」


二人で抱き合い号泣 痛みも苦しみも半分になる

昨年の3月末、小林は肉離れにより、せっかく招集された日本代表を辞退せざるを得ない苦悩を経験した。「そのときも精神的にきつかった」と振り返ったが、小林をさらなる悲劇が襲う。復帰から間もなくしてウォーミングアップ中に膝を負傷し、再び戦列を離れる事態に陥ったのだ。

「試合前のアップ中に膝がガクッとなって、もうダメだと……。その日、家に帰ったときはもう、きつかったですね……あのときの自分、どんな様子だったんだろう……もう、何でオレなんだよって、まず思うじゃないですか。いろいろ食事にも気を遣って、身体のケアもしっかりしている。それなのに何で自分なんだろうって。やばい……泣きそうになってきちゃう……」

当時を思い出して感情がこみ上げてくる。まるで涙をこらえるかのように、小林はまくしたてた。

「家に帰ると、自分より落ちこんでいる嫁さんがいるんですよね。管理栄養士の資格を持っているので、いつも僕の身体のことを考えて食事を作ってくれる。すごく尽くしてもらっているのに、またケガしちゃって申し訳ないなって思いました。あの日も、『なんで、悠くんなんだろうね』って一緒に泣いてくれて、大袈裟に言うと、抱き合いながら二人で泣くくらいの勢いで、一緒になって『わー』って泣きました。とことん一回、落ちるところまで落ちるんです。それですっきりして、またここから二人でがんばろうって切り替える。母親は強いから泣かないですけど、うちの嫁さんは、一緒に泣いてくれる。痛みも苦しみも半分になりますよね」

子供のころ、落ち込んでいれば、いつも発破を掛けてくれたのが久美子さんだった。苦労している姿は見せず、常に明るく、笑顔を絶やさなかった。きっと久美子さんにとって小林がプレーする姿を見ることこそが、幸せそのものだったのだろう。

大学を卒業して、正式に川崎フロンターレへと加入した小林は母親に一通のメールを送った。6年も前のことだけに、正確には思い出せないというが、記憶の断片を呼び起こしてくれた。

「まだ、スタートラインに立っただけだけど、ここまで育ててくれて感謝しているということを伝えましたね。長い文章だったことは覚えてます。女手一つで育てるのは大変だったと思うし、金銭面でも実際苦労をかけたけど、応援し続けてくれた。マザコンじゃないですけど、お母さんのことは大好きですし、ウチの家族は基本みんな、仲が良い」

久美子さんからバトンを受けとるかのように、今、小林のそばには直子さんがいる。性格もアプローチも正反対の二人ではあるが、小林とともに歩み、支えるという信念に変わりはない。

そして小林は愛する妻へ感謝を示した。

「本当にこの人と結婚してよかったなって思います。嫁さんには大学生のときから支えてもらってきました。辛いときにいつもそばにいてくれて、一緒に泣いてくれた。まだ、何回か一緒に泣くことはあるかもしれないけど、これからはなるべく笑顔でいてもらえるように、喜ばせてあげたいですね」

小林の話を聞き終え、急に母親の顔が見たくなった。携帯電話を鳴らし、久しぶりに食事へと誘った。「急にどうしたの? 気持ち悪いわね」と驚かれたが、「たまにはいいじゃん」と強引に約束を取り付け、待ち合わせることにした。(後編了)


取材・文=原田大輔(SCエディトリアル)
写真=佐野美樹

小林悠(こばやし・ゆう)

1987年9月23日、青森県生まれ。FW。背番号11。
3歳で町田市に引っ越し、町田JFCにてサッカーをはじめる。麻布大学附属渕野辺高校、拓殖大学を経て2010年に川崎フロンターレへ加入。ハリルジャパンでも活躍が期待される得点感覚溢れるストライカーで、FWや2列目でもプレーする。日本代表5試合出場。



《ファミリー》2人目の登場は、
サンフレッチェ広島・森﨑和幸選手です。
ただいま発売中の「モーニング」38号で
インタビュー前編が読めます!
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